共産主義者に、国が蹂躙されたあの日

【Sakal Phoeung】

私が5歳の時、カンボジアは地獄に落ちた。4年間続いた大虐殺の悪夢は、私を今までずっと苦しめ続ける。そこから逃れるための言葉・方法を私は知らない。
1975年4月17日、カンボジアの首都プノンペンはカンボジア共産主義者の軍隊クメールルージュによって侵略された。全ての都市の住人が追いやられたために街は空虚になった。これは、ほんの始まりだった。この後に来る恐怖を、まだこの写真の人たちは知らない。
1,500,000人から2,200,000人の人たちが、暴力や拷問、餓死によって亡くなることになる、大虐殺の始まりの日。カンボジアは、巨大な強制労働キャンプになった。

拷問や公開処刑が全国で繰り返された。特に、知識人階級は目の敵にされ、真っ先に逮捕され、拷問の後に、そのほとんどは殺害された。レッドキンマーズ(意味不明)は誰もが裏切ったので、虐殺し駆除した。
1979年のベトナム侵攻により、この恐怖の日々はようやく終わった。たった4年間で数百万人のカンボジア人が、ポルポトとクメールルージュによって殺された。全てのカンボジア人は、この大虐殺により、少なくとも1つの手足を失った(真偽不明)。

公務員や警察官、高等教育卒業生の半数が亡くなり、都市人口は40 %減少し、地方では、10~15 %減少した。
共産主義者の手足になって虐殺をした人たちがいる。裏切った人たちも数知れず。社会が正常に戻った後も、人々の心は穏やかにはならなかった。辛い過去、ひっそりと過ぎていく日々。しかし、歴史から過去を消し去ることはできない。悪魔や幽霊がいつも私たちのそばにいて、消えることはない。どこでもカンボジア人にとって人生は続いていく。明日はまた次の日も…

以上

ポルポトは、本気で理想郷を作ろうとしたんだと言う人がいる。理解はできないが、ヨーロッパに留学中に共産主義に感化された彼は、落ちこぼれの劣等感から、共産主義を更に進化させた世界を作ろうと考えてしまう。
彼にとっての理想郷とは、共産主義を超えた平等な社会、格差と言う言葉すらない世界、つまりは原始時代だったらしい。そのために、現代社会を構築する全てのモノを否定、排除していくことになる。
知識人を根こそぎ虐殺した後は、頭が良さそうだと言うだけの理由で、メガネをかけた人、文字が読める人なども処刑の対象となっていく。
内部告発制度が、密告の連鎖を生み、拷問に耐えきれずに、また知っている人物の名前を口にして、永遠に拷問が続いていくと言う、究極の疑心暗鬼と恐怖の地獄に縛られていく。大人たちを管理する人、処刑を実行する人は、子供たちになり、まずは親を手始めに、処刑班となって多くの人たちをあやめていったと言う。

左が、ポルポト

ポルポトは、カンボジアの統治に失敗し、その後、大虐殺が明るみになって、ジェノサイドを行った犯罪者として歴史に名を残した。しかし、中国共産党は、未だに肥大化を続け、国民や周辺国を恐怖によって支配しようとしている。もし、もっと早い段階で中共政権が崩壊していたら、毛沢東は、歴史上もっとも多くの人たちを死に追いやった人間として、裁かれていただろう。
それができていないばかりか、未だに英雄であるかのように、中国国内の学校や施設に写真が飾られ、敬われている。そして、今やアメリカとも軍事力が拮抗し始め、世界と戦う気概があるかのように振舞っている。

元ポル・ポト派女性兵士の苦悩

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“中国の自由の女神… 武器使用が可能となる中国公船と…

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