「人から憎まれて死にたい」最後まで貫いた・・・石原慎太郎さん(89)死去(2022年2月2日)
【渡邊 敦】
石原慎太郎 様、長い間ありがとう、本当にお疲れ様でした。今は只、ゆっくりとお休みください…。御冥福をお祈りします。
”新銀行東京” で経営難に陥った時 ”〜発案の責任はあるが、私も金融の専門家ではない!、経営者に責任がある” と、弁明し批判された事も有名。
芥川賞を受賞した当時、若者のカリスマだった石原氏。国政進出となった昭和43年7月の参院選で、当時 ”史上最高の301万票” を獲得して初当選し、「いずれは総理大臣を目指す」と息巻いていた。
その後、2度目の挑戦となった平成11年4月の東京都知事選。166万票を取りディーゼル車の排ガス規制に意欲を燃やしていた石原氏。再選した15年4月の都知事選で《国の怠慢》と批判後、国に先行する形で規制を実現した。東京で、マラソン大会が開けるくらい、空気が綺麗になったのはこのお陰…。
23年3月の《東日本大震災》では、がれきの広域処理に名乗りを上げ、一部で上がった反発の声には、”黙れといえばいい” と一喝した。
24年4月、《尖閣諸島の購入》を表明。その後それをきっかけに”国有化”された。当時の賛同者からの、都に寄せられた寄付金の額は、何と約15億円にもなった。夏季五輪招致にも力を注ぎ在任中リオデジャネイロに敗けはしましたが、都知事引退後には《東京五輪》が決まった。
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