アメリカ31代大統領フーバーの言葉

1946年5月から3回フーバーはマッカーサーに会っている。
「日本との戦争は戦争に入りたかった狂人の欲望であった」と言うとマッカーサーもそれに同意した。
東京裁判の当初からマッカーサーはルーズベルトの欺瞞性を感じ、アメリカの方が悪いと分かっていた。

ルーズベルトは21世紀になってもアメリカの偉大な大統領だったと評価が高いようだが、彼の真実の姿とトルーマンの不道徳な行為を公にしたことについて私は謝罪するつもりもないし後悔もするつもりもない。
ルーズベルトは国民を護る政治家でありながら、アメリカの青年の命を犠牲にし、ましてや黄色人種の日本人など虫けらのように殺してもよいと思っていた人種差別主義者であった。口では正義や人道を唱えながら、裏では自分の欲望のために戦争を欲した狂人であった。
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アメリカ31代大統領フーバーの言葉(あらためて)

1946年5月から3回フーバーはマッカーサーに会っている。
「日本との戦争は戦争に入りたかった狂人の欲望であった」と言うとマッカーサーのそれに同意した。
東京裁判の当初からマッカーサーはルーズベルトの欺瞞性を感じ、アメリカの方が悪いと分かっていた。

1941年金融制裁が挑発的だったこと、それが解除されなければ自殺行為になったとしても、戦争をせざるを得ない状況に日本を追い込んだこと、制裁は殺戮や破壊を伴わないだけの戦争行為で、いかなる国といえども品格を重んじる国であれば、我慢できることではなかったということもマッカーサーは同意した。

制裁は弾を撃たないだけの戦争だ。ルーズベルトは自分の部下から再三にわたって、そんな挑発行為を続ければ遅かれ、早かれ日本が報復のための戦争を引き起こすことになると警告を受けていた。しかし彼は忠告を無視した。ルーズベルトは1941年9月に近衛首相による和平提案を拒否した。日本政府はアメリカ、イギリス両大使がこの和平提案受け入れられるよう懇願していた。
近衛首相が提案した条件は満州の返還を除く全てのアメリカの目的を達成するものであった。しかも満州の返還ですら、交渉の余地を残していたのだ。ルーズベルトはこの重要でない問題をきっかけにして、自分の側でもっと大きな戦争を引き起こし、満州を共産ロシアに与えようとしていたかもしれない。

アメリカは1945年5月から7月にかけての和平提案も拒否した。トルーマンは日本の降伏のサインを見て見ぬ振りをした。
日本にとって、和平はたった一つの譲歩だけでよかったのだ。それは天皇を中心とした国体護持だ。降伏のサインを無視したことによって、このあと数十万の命が犠牲にされた。

最後にアメリカは日本人に原子爆弾を投下するという不道徳な行いをした。トルーマンの命令だった。原子爆弾はすべてのアメリカの歴史の中でも比較になるものがないほど残虐な行為だった。それは永久にアメリカ人の良心に重くのしかかるだろう。

ルーズベルトは21世紀になってもアメリカの偉大な大統領だったと評価が高いようだが、彼の真実の姿とトルーマンの不道徳な行為を公にしたことについて私は謝罪するつもりもないし後悔もするつもりもない。
ルーズベルトは国民を護る政治家でありながら、アメリカの青年の命を犠牲にし、ましてや黄色人種の日本人など虫けらのように殺してもよいと思っていた人種差別主義者であった。口では正義や人道を唱えながら、裏では自分の欲望のために戦争を欲した狂人であった。

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