松陰、もう一つの辞世の句

吉野 一道

 『二つの辞世の句』 左翼系の雑誌や月刊誌の多くが売れないため、廃刊に追い込まれているという。
戦後の左翼全盛時代には、左翼が学界・メデイア・霞ヶ関・労組・地方自治体を牛耳っていた。
保守や右翼は冷遇され、言論の場から弾かれていた。まさに左翼でなければ人にあらずとばかりに肩で風をきって歩いていた。 

 ところが、流れが変わった。その背景は何だろうか。
左翼の牙城であり第4の権力を自称するマスメデイアが、第5の権力と言われるようになったネット社会にとって変わられ、一般民衆の攻撃にさらされるようになったからだろうか。
マスメデイアに操作される駒の一つに過ぎなかった民衆が、自らの意思を持って行動する民衆に変わったからだろうか。
田原総一朗だったか、「戦前、朝日新聞を初めとするメデイアが国策媒体化した。その背景は国策に沿った記事しか読んでもらえなくなり、売れなくなったからだ。
政府が言論統制する前に国民がメデイアを選別していたのだ」と語った。朝日新聞他もまた営利を目的とする株式会社だったということだろう。 

 捏造と改竄と売国がのさばっていた極寒の左翼の時代が終わった。春の陽気に誘われたのだろうか。博学・能弁の士が一斉に湧いて出てきて、百家争鳴の如しである。
願えるなら、理屈でやり込める人ではなく、人々の心を揺り動かせる人が出てこないだろうか。人は理論によって行動するのではない。人は情に感じて行動する。偉大な革命家は優れた理論家ではない。偉大な革命家は傑出した扇動家である。 

夢なき者に理想なし 
理想なき者に計画なし 
計画なき者に実行なし 
実行なき者に成功なし 
故に夢なき者に成功なし

 幕末の思想家吉田松陰の門下生に対する回天への檄、あるいは門下生への遺言とでも言うべき言葉である。松陰29歳。
安政の大獄で死刑に処せられた時の辞世の句が、「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
この歌を聞いた門下生や幕末の志士の心はどれほど奮い立ったことだろうか。その後の彼らの活躍からしても想像に難くない。

 あまり知られてはいないが、その松陰にはもう一つの辞世の句がある。
私もその一人だが、激しい思想家あるいは革命家としての松陰よりも、こちらの辞世の句を残した松陰に対して、共感と感動を覚える人も多いのではないだろうか。
「親思う 心にまさる 親心 けふのおとずれ 何ときくらん」松陰29歳。処刑の直前に詠まれたと言われる。「私が親を思う以上に、常に私の身を案じてくれている親が、今朝の私の死を聞いたら、どれほど悲しむだろうか。・・・申し訳ない」
信念を貫いて死んでいく松陰の胸にも、熱く込み上げるものがあったに違いない。

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