<新型コロナ>国産ワクチン、3年前に治験直前で頓挫

 新型コロナウイルスのワクチンは、国内でも複数のチームで開発が進められている。欧米で開発されて接種が進むのは、病原体に合わせて素早く設計できる新タイプの「RNAワクチン」。実は国内でもRNAワクチンの開発が治験直前まで進んでいたが、2018年に国の予算打ち切りで頓挫した。研究者は「日本は長年ワクチン研究を軽視してきた」と指摘し、欧米と差がついた現状を憂慮する。(森耕一)

日本のワクチン政策の変遷

 1992年に宍戸達徳裁判長が下したワクチンの後遺症に対する賠償命令が、日本のワクチン開発を20年以上に渡って停滞させたと言う事実はあるだろうが、だからと言って、この裁判長を責める気にはなれない。
後遺症が出てしまったら、しっかりと保証をしてあげるのは当然だからだ。
それよりも、この時にいちいち、鬼の首を取ったように大騒ぎしたマスコミや、その後の開発にしり込みしてしまった政治家などには責任を感じてもらいたいが、原発事故と一緒で、いつまでも前を向かない国民性にも問題があるのかもしれない。
もし、自動車の開発で、1人が亡くなるような事故が起きたからと、世界的に自動車を作ることを禁止することになったら、どうなっていただろう。電車も飛行機も、全ては動かすことができなくなり、何万年経っても、人類は自分で歩くのが一番と言う話になる。

「一回でも失敗したら、その技術は悪だから、それ以降の改良も認めない」
自動車も電気も包丁も、世の中の便利なものは、ほとんどその姿を消すだろうが、それが人類が選んだ道なのだから仕方ない。となってしまう。

 話が逸れたが、ファイザーやモデルナ製のワクチンは、mDNAワクチンと言う、人類が今まで使ったことのない製法のワクチンだと言う。それに対して、殺人ワクチンだ、政府は秘密裏に、国民をモルモットにして実験しようとしていると警告する勢力もある。
確かに、本来、数年間は様子を見ないと、どういう結果が生じるのかわかるべくもない。場合によっては、その後に生まれた赤ちゃんがどのような影響を受けているかまでの調査も必要だと思われる。
しかし、その検証が終わるまで、みんなが様子見をしていたら、世界は何十回もコロナの流行を繰り返し、更に悪質な変異種が流行し、多くの人が死に、世界経済は今よりはるかに酷い状態になっていくに違いない。

1992年の判決で国や国民が学んだことは、国を護るためではなく、個人を守るための、予防接種であり、強制はしないと言うことだと思う。ただし、それは、周囲の人に迷惑をかけない範囲であるべきだろう。
医療現場で、今年2021年になってからも、ワクチンを打たない看護婦さんがいる病院で、大規模な院内感染が起き、お年寄りの患者さんが亡くなったが、このようなことがあってはならない。命を守る側の人間が、自分可愛さにワクチンを打たず、結果的に患者さんに感染を広げてしまう。
自分の身体が大事なのはわかる。将来子供を身ごもった時に、どのような影響を与えるかわからない得体のしれないものを、自分の体に入れてしまうことの恐怖はあるだろう。
しかし、それであるならば、どうしてもワクチンを打ちたくないというのであるならば、やはり、患者さんと接する場には立つべきではないのではなかろうか。

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