台湾を共産軍から守った根本博中将
【加藤氏】【チャランポランだった私がマトモ(?)になったのは、日本のご先祖様のおかげ?!感動!!今の台湾の形を守った根本博中将】写真は21歳くらいの時キャバ嬢だった私です(笑)振り返ると、ホントに当時、わたしは自分のことしか考えてませんでした。昼間働きたくない。だりぃてか、なんで働かないといかんの??←オイなんのために?なんのために生きるの?この先どーなるのかもわからない。彼氏とかはボチボチいたりしたけど、男運は当時はあまりない。(笑)(自分がチャラそうにしか見えないからしょうがなかったのですがwww)というのが、その頃の私でした、、しかしその数年後、私は自分たちのご先祖様たちが、『命をかけてこの国を守ってくれてきたのだ』という様々なエピソードを知り、本当に本当に、、心が打たれ、価値観と考え方が、180度変わったのです…そんな心打たれるエピソードのひとつ。『今の台湾の形を守った日本人』とも呼ばれる、根本博中将のお話を簡単に、ご紹介させていただきます
根本博(ねもとひろし)中将は、大東亜戦争(第二次世界大戦)で陸軍の中将でした。敗戦後、根本中将は自宅に戻っていたのですが、その頃中国では、中国共産党vs中国国民党(共産主義vs自由主義)の戦いで、内戦がおきていました中国国民党が相手に押されてやむ無く台湾に渡り、負けそうになっていると聞いた、根本中将。根本中将には、中国国民党のリーダー、蒋介石(しょうかいせき)に恩があったそうなのです。その恩とは、日本軍が中国で敗戦を迎えて日本に引き返すときに、蒋介石が自分たちの軍の移動よりも先に、日本軍の日本引き上げを全面にバックアップしてくれたそうで、『日本に引き上げが終わるのは10年かかる』と予想されていたものが、蒋介石のおかげで、なんと『10ヶ月ほど』で完了したのだそうです。
その恩を忘れなかった根本中将は、蒋介石に恩を返すために、当時の決まりでは、『バレたら相当ヤバい処罰』が待ち受けていることを知りながらも、なんと、家族に『釣りにいってくる』といって、通訳の人と2人で、小さな船で極秘で台湾にわたり、国民党軍に全面協力し、重要な作戦を指揮して、中国共産党軍を台湾に上陸させないように見事撃破したそうなのです(金門島という、中国大陸から1.8㎞ほどの島で戦い、台湾への上陸を防いだとのこと!)その能力のすごさから、『戦神(いくさがみ)』とも呼ばれていたそうなんですそして数年後、飛行機で帰国した根本中将は、あたかも何もなかったかのように釣り竿を持って帰国したのだそうです…(かっこよすぎる!!)この根本中将の貢献は、極秘で行われたために、きくところによると台湾の人にも知れ渡っておらず、2008年にやっとその真実が明るみになったそうです(ちなみに中国では、この金門島における戦いは、あったことすらも抹消されているとのこと笑)もしこのときに、『戦神』とも呼ばれた根元中将が応戦に行っていなかったら、今の台湾は、とっくに中国共産党のものになっていたかもしれませんね…そうすれば、李登輝さんによる民主化も実現していなかっただろうし、今の自由な台湾の形はなく、まさに自由なき今の中国と化していたかもしれません…。
このとき台湾に渡ったのはほかにも数名おられたとのことですが、私は、この方々の『受けた恩は必ず返す』という誠の姿勢、『我が身の安全と命なんぞよりも、公のために』という究極の精神、『共産主義の自由の剥奪』から台湾を守り、自分の功績を誰にも語らなかったその陰徳の素晴らしさに、大変な感銘を受けました…この頃の日本人の方々はなんという崇高な精神と、深き愛を持っていたのでしょうか。
根本中将のような精神を持った方が本当に沢山いたから、最大の国難を迎えても今、私たちの豊かな生活があると思うと、『自分もその恩恵を返せるように生きたい』という気持ちが、自然に湧くようになりました『ご先祖様たちの愛』は、あんなにパリピで腑抜けだった私に(笑)、大変な勇気、志を与えてくれました(しかも、根本博中将の功績はこれだけではないので、是非調べてみていただけますと幸いです最後までお読み頂き、ありがとうございますシェアはご自由に、どうぞお使いください)
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