チベット植民地化。「農奴解放」などと称して居座ること60年

一九五九年三月十日、チベットでは中国の支配を嫌う民衆が蜂起し、中国軍の攻撃で鎮定され、八万人以上が死んだとされ、ダライ・ラマ法王も亡命したのだが、今年はこの蜂起から五十周年を迎える。

被俘#33719;的西藏叛乱分子
1959被俘#33719;的西藏叛乱分子
59年、中国軍に連行されるチベットの人々

こ れまでチベット人は毎年三月には、あの蜂起に思いを馳せながらデモなどを行ってきたが、侵略者である中国政府は何と、チベット人の蜂起失敗の記念日を設け ることを検討している。しかもその名は「チベット百万農奴解放記念日」。一月十四日からのチベット自治区人大会議で提議されると言う。

「チベットはかつてダライ・ラマを頂点とした農奴制社会で、人口の九割以上が農奴として土地に縛られ、搾取を受けていた」とし、その農奴を「解放した」と言うのが中国共産党による、チベット侵略正当化の宣伝である。

その理屈に従うなら中国人は、軍閥による過酷な奴隷統治から人々を救ったかつての「日本軍国主義による満洲支配」を肯定しなければならない。

ところで中国のこの宣伝は事実だろうか。人口のほとんどが「農奴」だと言うが、チベット人の人口の過半数は遊牧民。その遊牧民のどれほどが農奴になれるのか…。

たしかに「農奴」なるものは人口の何割も占めていたらしい。そこでそれについてあるチベット人に尋ねると、「中国が言うようなものではなかった」と言われた。そのとき、こう聞かされた。

「中国人が農奴と呼ぶ人々は日本で言えば昔の小作人のようなもので、みんなご飯は食べていた。ところが中国に支配されると、自由を奪われた。そして飢餓に見舞われ、餓死者が出た。だから農奴だった人々はみんな、昔はよかったと懐かしんでいる。これが事実なのだ!」

私も「事実」だと思う。チベット人がほんとうに「奴隷」階級に成り下がったのは、中国に支配された後だ。だからこそチベット人は現在、つねに命がけで自由を求める声を上げ、あるいは国外亡命を図っているのではないだろうか。

1959年以前西藏#20892;奴的生活
中国のネット上で出回るチベット人「農奴」の写真。これが「ダライ・
ラマの民主の正体」だとか。だがこの程度の貧民なら中国にもいる

そのチベット人はさらにこうも言っていた。

「中国軍が農奴を解放するためにチベットに入ったなどウソだ。もし事実なら、すでに農奴を解放し終えたのだから、とっとと帰ればいい」と。

中國鎮壓西藏、開槍殺人的照片
なぜ中国軍は「農奴解放」後もチベットに居座るのか

中国政府も、中国人も、みな一様に「農奴を解放した」ことを強調する。長野での聖火リレーの現場に現れた中国人留学生たちもそうだった。そしてこれを真に受けてしまう日本人も少なくないらしい。

しかしそのようなものに惑わされる必要はまったくないのである。それよりも糾弾するべきは、現在進行中の奴隷支配である。

ところで昨年三月に騒乱が発生したばかりだと言うのに、中共が再びチベット人を刺激するようなことをするのはなぜなのか。

香 港での報道によると「北京当局の今回の挙動がチベット独立を求める人々を刺激するのは不可避だが、当局は昨年のような騒乱を防ぐ準備をすでに万端にしてい るに違いない」とのこと。また対チベット工作も担当する中共中央統一戦線工作部の朱維群副部長が最近、「もし北京当局にテロ攻撃をする者がいたとする。し かし我々もこれまで手を下さなかったわけではない。毎回手を下すたび、どのような結果となったか、誰もが知っているはずだ」(十一月十一日、チベット問題 に関する記者会見)と発言したことは、五輪閉幕後、ダライ・ラマ法王に対し強硬な姿勢に転じたことを象徴していると言う。

朱維群
中国政府はチベット人への更なる弾圧に自信満々。中央が朱維群副部長

「農奴解放」の宣伝を以って西側の「チベット侵略」の非難に対抗する魂胆だとも見られているが、西側がこのような子供騙しのウソに負けていいはずがない。

「中国からのチベット人奴隷の解放」を日本国民の合言葉にしたい。また学校教育でもそれを教えるべし。この一言で子供たちは、中国と言う国の実態を直ちに理解し、あわせて「虐げられた民族は救出しなければならない」との正義感を抱くことにもなろう。

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中国の奴隷支配からのチベット人救出を日本人の合言葉に!

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