教育勅語は米国で『The Book of Virtue』という本になり聖書に次ぐ大ベストセラー

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教育勅語は米国で『The Book of Virtue』という本になり聖書に次ぐ大ベストセラー

 

アメリカをはじめ西欧世界は若者の荒廃に戦前・戦後と日本の修身教育の内容を取り入れています、その元となるのが日本の「教育勅語」なのでした。



 

11月3日の文化の日は明治天皇の誕生日であり、教育勅語は明治天皇のお言葉という形で道徳律をまとめられたものと言われており、その発生には江戸時代に水戸光圀が大日本史編纂を始めたと同じ様な動機が見られます

サイトには

「日本では明治維新以降、一時西洋かぶれの時代が訪れ、日本の伝統文化が軽視される風潮がありました。

日本古来の論理道徳や武道精神などは、封建的で無価値なものだという偏見が横行したのであります

このとき、全国知事会、文部大臣、総理大臣、明治天皇側近の大学者などが、知恵を出し合って完成させたのが『教育勅語』です。」

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とあります、この動機はアメリカやイギリスなどの乱れ荒廃した教育の現場にも共通したモノがあるわけです。

まずは戦後のアメリカでレーガン大統領の時に教育勅語の内容がアメリカで使われる様になった事に付いての記事がありますので転載させて頂きます

 

世界で尊重される教育勅語と修身

(記事元)http://senzaikumoranu.jimdo.com/2014/07/21/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A7%E5%B0%8A%E9%87%8D%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E6%95%99%E8%82%B2%E5%8B%85%E8%AA%9E%E3%81%A8%E4%BF%AE%E8%BA%AB/


転載開始

日本では、既に過去のものとして社会から消え去ってしまった日本の修身が、アメリカでレーガン大統領の時代に米国の若者への道徳教育の為の新たな指針と言うことで、日本の修身が再認識され、米国の教育の道徳教育で使われるようになったのです。米国の道徳教育改革を担っていた米国の文部長官を務めたW・ベネット氏は、レーガン政権の道徳教育の担当者としての知識を「The Book of Virtues」(道徳読本)という本にして出版しました。


 このベネット氏の本のオリジナルとなったのが、日本の教育勅語・修身の研究で有名な小池松次先生が、昭和40年代に出版された 『修身・日本と世界』でした。この「The Book of Virtues」は、現代の第二の聖書と呼ばれるくらいにベストセラーになり、

アメリカだけでなくドイツやイギリスにも広がりました。日本の修身が、現代になって再び認められるようになったということは、

日本の失われた道徳教育は正しいものであったということが証明されたので、非常に喜ばしいことです。(修身 日本と世界

米合衆国第ロナルド.レーガン(第40代)大統領が1981年に就任すると、それまで荒廃しきっていた教育環境を立て直すべく、直ちに道徳教育の復興に乗り出し改革を行っのは、後に出版された「The Book of Virtues」と共に、あまりにも有名な話です。

 

この道徳教育改革のメンバーのひとりが教育長官(日本の文部大臣に該当)を務めたウイリァム・ベネット氏で、彼は退任直後、レーガン政権の教育改革のノウハウを「The Book of Virtues」(道徳読本)という名の本にして出版しました。

 

この本のもとになったのが、日本の修身教育と日本で昭和45(1970)年に出版されていた小池松次編薯「これが修身だ」だったことが後日、ドイツの週刊誌デア・シュピーゲル (Der Spiegel) と米国のタイム誌からの取材で小松氏にもたらされたそうです。

 

平成5(1993)年、この830ページもある大著が

「第二の聖書」と言われるほど毎年ベストセラーになり、遂に3000万部を突破しました。

ベネット氏の著書の元が日本の修身や教育勅語ならば、教育長官当時の教育の「ノウハウ」とは同じところ、つまり日本に辿り着きます。

 

The Book of Virtue : A Treasury of Great Moral Stories” William John Bennett は
「魔法の糸~こころが豊かになる世界の寓話、説話、逸話100選」(実務教育出版)として出版されています


The Book of Virtues「道徳読本」と修身、教育勅語との比較

1、Self – Discipline 「自己規律」
恭倹己レヲ持シ(勅語)
克己・節制(修身)
2、Compassion 「同情」
博愛衆ニ及ボシ(勅語)
博愛・慈善(修身)
3、Responsibility 「責任」
責任・職分(修身)
4、Friendship 「友情」
朋友相信ジ(勅語)
友情・朋友(修身)
5、Work 「勤勉」
学ヲ修メ業ヲ習イ(勅語)
勤労・努力(修身)
6、courage 「勇気」
公益ヲ広メ政務ヲ開キ(勅語)
進取ノ気象・勇気(修身)
7、Perseverance 「忍耐」
勉学・努力(修身)
8、Honesty 「正直」
知能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ(勅語)
正直・至誠(修身)
9、Loyalty「愛情」
父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ(勅語)
家族・家庭(修身)
10、Faith 「信仰」

註、(勅語)は『教育勅語』
(修身)は『これが修身だ』より

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日本人でさえ戦後(内外からの愚民化政策で?)忘れさせられている教育勅語と修身を約30年前、かれらはこれを教育のお手本として取り上げた訳です。

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転載部は以上です

占領国のアメリカも占領政策の為に悪者扱いしたモノの価値に時がたってやっと気付いてきたというわけです。

ここで戦後この様なアメリカでの評価が始まったとの事ですが、実際は戦前から教育勅語は高い評価を受けていたのです



世界で注目された教育勅語と修身 より
http://b-co811.hatenablog.com/entries/2013/01/31

転載開始

>ロンドン大学における『教育勅語』の講演会
1907年(明治40年)2月14日

日英同盟を結んでいた日本が日露戦争に大勝利を収めたのが元で、英国の大使館から日本の文部省に、ロンドン大学で『教育勅語』専門の教育講演会の依頼がありました。
文部省は、英国に二度の留学の経験のある菊池大麓男爵を派遣することにしました。菊池男爵と文部省は苦心して英語教育勅語を作成し、明治40年2月14日から25回の連続講義を行いました。

25回にもなった訳は、日本歴史の講義から始めないと、外国人には教育勅語を理解させるのが難しいことと、学校教育での実際の修身の授業を紹介するためでした。


この講演に関して、ロンドンの新聞「スタンダード」紙は次のように論評しています。

 

「『一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ』とは天皇陛下が日本全般の国民に告げ給いし教訓である。しかして国民が如何にうるわしく之を服膺(教えを守ること)せるかは、一九〇四~一九〇五年の日露戦争が明らかに証明している。

このような教訓によってこそ義勇奉公の熱情に鼓舞せられる真正の国民軍を組織することが出来たのである。

 

しかも我が英国民が深く恐怖する『軍隊政治(ミリタリズム)』(将校と兵隊との階級社会の差が酷くて国の為に働くという気風が皆無)は義勇奉公の精神とは何らの関係もない。


実に日本国民は西洋人の理解不可能な方法を以って教育の意義と其の目的とを解決することが出来たと云うべきである。

 

もし日本人が物質方面において西洋の模擬者とするならば、西洋人は精神的方面において日本の模擬者であることが其の利益となるものである。」

 

このようなロンドン大学での『教育勅語』の講演の成果を踏まえて、牧野文部大臣は同年5月の全国教育家大集会において次のように訓示しました。

我が教育勅語は今や海外において深く学者・為政者の研究する所となり(中略)世界における最も大なる教訓となりつつあり。要するに教育勅語に関し諸君に対する余の要望は、其の内容が国民一般の心となることに勉められんこと是れなり

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「教育勅語の真実」(致知出版社/伊藤哲夫氏著)によると、
教育勅語の起草にあたった井上毅は明治憲法の草案作成に携わる際、欧米への視察により比較研究を行った後に

日本の歴史について徹底的に勉強を始めたそうです。
歴代天皇の事績と継承の在り方について学ぶうちに、古事記にある「しらす」の理念こそが国体の根本であると確信します
つまり、民の心、神々の心を知り、それをそのまま鏡に映すように我が心に写し取ってそれを自己に同一化しようとされる天皇の『徳』によってこそ国家は始まっているのであり、それは他国の模倣ではありえないという考えに基づき、全力を傾けていきます。
井上は苦心して教育勅語の起草に取りかかるのですが、その際想定されるあらゆる問題点を考えました。政治色、宗教色を廃し、他の政事上の勅語と区別し、「社会上の君主の著作公告」として発するべきと考え、

権力の押しつけではなく「徳」を自ら実践される天皇の純粋なお言葉として国民に示したかったのです。
井上が作成した勅語案は天皇の信頼の厚い儒家元田永孚の元に届き、二人の立場や思想的違いはあるものの、それを乗り越えた形で修正のすさまじいやりとりが行われました。
共通点は天皇の「徳」による統治と国民が忠と孝、それが心を一つにして比類なき美しい国柄を築いてきた日本という国という認識でありました。
それは「天皇」と「国家」を思ってやまない二人の悲願、執念とでもいうべきものであったと著者は記しています。

 

こうして明治23年、のちに世界に賞賛されることになる教育勅語が発布されます。

その2年後、井上毅は文部大臣として教育勅語を柱とした「修身科」を創設。
これによって学校の教育課程に明確な芯が通り、瞬く間に教育の核となり、日本人の精神の骨格が形成されることになりました。

 

日本国民の精神そのものと言うべき教育勅語には12の徳目が含まれ、学校で教える「修身科」の教科書には25の徳目と、学ぶべきモデルとなる偉人の具体的なエピソードや生き方が示されています。

教育勅語十二の徳目

一、 父母ニ孝ニ
親や先祖を大切にしましょう。
二、 兄弟ニ友ニ
兄弟は仲良くしましょう。
三、 夫婦相和シ
夫婦はいつも仲むつまじくしましょう。
四、 朋友相信ジ
友達はお互いに信じあいましょう。
五、 恭倹己ヲ持シ
自分の言動をつつしみましょう。
六、 博愛衆ニ及ボシ
広くすべての人に愛の手をさしのべましょう。
七、 学ヲ修メ業ヲ習イ
勉学にはげみ技能を身につけましょう。
八、 知能ヲ啓発シ
知徳を養い才能を伸ばしましょう。
九、 徳器ヲ成就シ
人格の向上につとめましょう。
十、 公益ヲ広メ政務ヲ開キ
広く世の人々や社会のためにつくしましょう。
十一、国憲ヲ重ンジ国法ニ遵イ
規則に従い社会の秩序を守りましょう。
十二、一旦緩急アレバ義勇公ニ奉シ
勇気をもって世のためにつくしましょう。

修身での二十五の項目

 家庭のしつけ 親孝行 家族・家庭 勤労・努力 勉学・研究
創意・工夫 公益・奉仕 進取の気象 博愛・慈善 資質・倹約
責任・職分 友情 信義・誠実 師弟 反省
正直・至誠 克己・節制 謝恩 健康・養生 武士
愛国心 人物・人格 公衆道徳 国旗と国家 国際協調



「『勉学・研究』には、野口英世、本居宣長などのエピソード。『親孝行』には、二宮金次郎のエピソード、『資質・倹約』には、徳川光圀などのエピソードというように教えられておりました。これら徳目の一つ一つをご覧頂くとお分かりのように、時代や国、文化に縛られない普遍的な人の有り様を伝える内容がほとんどで、今の時代にも修身を教育の場に取り入れる価値は、十分にあると思われます。
修身:日本と世界~あの頃の「道徳」をもう一度/小池松次氏HP
http://www.moral-science.com/morals.html より引用させていただきました)

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転載は以上です


必ずお読み頂きたい関連記事

 

レーガン大統領と日本の修身  
http://www.moral-science.com/reagan.html

 

教育勅語に対する海外の評価
http://www.moral-science.com/world.html

 

アメリカ版「道徳読本」の出現
http://www.moral-science.com/researcher.html

  

日米ともに道徳教育が不十分 戦後「修身」はGHQが禁止 K・ギルバート氏

 

(上記小池氏とケント氏の記事に見る温度差に注目します)

戦後70年たっても、この様な経緯や動機を未だに無視して、スターリンの策謀等によって操られた戦争によって、欧米の植民地などの行為を皆日本が悪かったという事に置き換える為におこなわれた占領政策に未だに気づいていません、

価値あるものを価値あるものとしない愚から脱皮すべきではないでしょうか

世界は日本と同じ価値観を持っていません、世界の価値観の違いを知ることに重きを置いてこなかったがために世界との価値観の違いを知らずに日本が素晴らしいと誇ったことが、西洋世界に嫉妬と脅威、敵愾心を与えてしまったわけで、日本の教育勅語も脅威になっってしまっています。

日本文化の無理解から教育勅語を無くすように戦後政策は徹底して行われたわけですが、日本の道理に基づく価値あるものは時を超越して存在しているわけです。

文化の日にちなみまして世界は『教育勅語』を賞賛し日本は廃止するという実態が続く原因には占領政策もさることながら、日本人が日本の国の事を余りにも学んでいない、知っていない、上記の井上毅氏ではありませんが日本の歴史について徹底的に勉強しようとしない日本人の姿がある事を申しあげたいわけなのです。

 

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