【教育勅語で一番大事なこと】

『中杉弘の徒然日記』

2017-04-20

プライムニュースで、教育勅語の詳しい解説を行っていました。日本会議代表委員という埼玉大学名誉教授の長谷川三千子教授が出ていましたが、ピントがずれているのです。
どんなピントがずれているのかというと、人間というものは、個人を生きると同時に歴史を生きています。この視点が抜けています。学校では日本史を教えます。日本の歴史を知るということは、自分の生きてきた歴史です。
個人の人生が優先するか、歴史が優先するのか? これはどちらも大事です。どちらが正しいというものではありません。結論から言うと、人間は個人として生きているけれども、実は歴史を生きているのです。
歴史が無い国は可哀想なのです。歴史がないと「公共心」という公の心は生まれません。公共とは、公(おおやけ)から生まれます。公は個人を超えています。だから公です。個人の価値観で制限されていたら、それは公ではありません。
教育勅語は、「天皇制をつくり、国民を奴隷にして、戦争に引きずり込むためのものである」と左翼はいいます。馬鹿を言うものではありません。左翼はすでにサルになっているのです。そんな考え方をする奴は人間以下のサルなのです。
我々個人は有限です。有限の人生では寂しいでしょう。有限の人生は、「無限の人生を生きている」という自覚があれば楽しいのです。「オギャー」と生まれて、ジジイになって死んでしまうのでは豚と同じです。
人間は個人として生きているけれども、大きな日本史という歴史を生きています。だから歴史を問題にするのです。
その中で、特に教育勅語の中で「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ。」ここがすごく大事です。教育勅語は天皇のためにつくられたものではありません。「天皇のための臣下をつくるために教育勅語をつくった」という馬鹿な学者もいます。
臣民と言っていますが、このことすらわかっていません。「臣」とは、天皇に所属する官僚のことをいいます。臣民の「民」は、官僚に属していない人達のことです。
君は天皇、臣は官僚、民は国民、これが心を一つにして長い歴史の中に出てくる日本国家の中で一緒に生きなければいけないということを言っているのです。日本が嫌いならば出ていけばよいのです。中国でも韓国に出も行けばよいのです。
日本人は日本の国の歴史の誇りを持っています。忘れてはいけないことは、日本は世界最古の国家です。これを教育勅語は教えているのです。今、このことを言うと、「私達の国家は世界一古いのですか?」とビックリします。それを日本人は知りません。
2800年の歴史を持った国家と、60年~70年の歴史を持った国家と、200~300年の歴史を持った国家では、全く品格が違います。韓国(1948年)はまだ69年です。中華人民共和国(1949年)も68年の歴史です。お話にもなりません。韓国、中国には歴史がないのです。
国家の歴史は60年の歴史しかないのです。支那人や朝鮮人は何を誇るのでしょう。中華人民共和国は毛沢東を誇るのでしょうか? 中国では毛沢東の写真を掲げています。毛沢東は自国民を1億人殺しています。それを知っているのでしょうか? 共産主義のスターリンは自国民を8千万人殺しています。単なる殺人鬼で、誇るべきものは何もありません。
殺人鬼の写真を掲げて何を言っているのでしょう。そんなものが中華人民共和国の永遠の魂になるのでしょうか? そんなものがなるわけがありません。やがて引き摺り下ろされるのに決まっています。
我々は、2800年の歴史を持つ世界最古の国家の民なのです。そのことを教育勅語はきちんと教えています。その歴史を守っていかなければいけません。我らも歴史の中に生きているのです。それがわかると個人から解放されるのです。
個人のための個人の目的など、何を言っているのでしょう。個人の目的はあるけれども、半分は歴史の中の一人であるから、悠久の歴史を考えなければいけないのです。その歴史を壊しにくる者、うらやむ者、妬み、悪口をいう者が大勢出てきます。
日本の悪口を言ってきた代表の朴 槿惠大統領はどうなったのでしょう。悪口ばかり言って、従軍慰安婦などなかったのです。あのような大嘘を言い、日本を貶めようとしたのです。最近では、「日本刀も韓国起源だ」と韓国人は言い出したのです。
剣道も「コムドウ」と言って、韓国はオリンピックに登録しようとしているのです。「剣道も韓国起源だ」と言っているのです。ウソをつくものではありません。何故、朝鮮人はこんなにウソをつく民族になってしまったのでしょうか? この理由は歴史がないからです。これをみな見抜いていません。韓国は歴史がないのです。
歴史がないから朝鮮人は一言からウソなのです。普通は、歴史に基づいてしゃべるのです。「お婆ちゃんがこういった」とか、「昔はこうだった」と話しますが、韓国は歴史がないのです。歴史がないと話はすべて作り話になってしまいます。
歴史という事実に基づけば、作り話ではありません。韓国ドラマはすべてウソ話です。宮脇淳子先生が怒っています。韓国ドラマはウソばかりです。チュモウの話からすべて創作です。韓国は結構な金額をかけて国家の歴史にしようと思ったのです。すべてウソなのです。
最近、気が付いたのですが、韓国人は整形が大好きです。何故だかわかりますか? 韓国人はウソをついているのです。やっと気が付いたのです。化粧まではよしとして、整形するということは、自分にウソをつくということです。整形は韓国人のウソが現れているのです。みんなコレに気が付いていません。歴史が無い、自分に誇りがないのです。
歴史が無いということは、自分が無いということです。自分が無いということは、自分に誇りが持てないということです。だから、どんどん顔も整形してしまうのです。何度も整形を繰り返して、チェ・ジウのように顔が滅茶苦茶になってしまう朝鮮人もいるのです。それも火病だから、自分の顔が滅茶苦茶になるまでやってしまうのです。
何回整形しても「もっとキレイになってやろう!」と思うのです。人間には限界がありますが、朝鮮人は歴史がないから限界がわからないのです。どこまででも行ってしまうのです。しまいに顔がグチャグチャになってしまうのです。だからチェ・ジウは整形が崩れてしまっているのです。
この原因は歴史がないからです。歴史がないから誇りがないのです。だからウソをつくのです。歴史がないのですから、過去がないのですから、ウソも本当もありません。何か事実があって、それに基づいてしゃべれば事実です。朝鮮人には事実はありません。何もないのです。だから、自由なのです。
チュモンの韓国ドラマはそのようにして作られたのです。歴史はないのですから、つくってしまえばよいのです。どんな歴史をつくってもウソとは言えません。元々歴史がないのです。
支那もそうです。彼らはひどい民族です。「漢民族が中心だ」と言うのですが、歴史で漢民族の国家など、ほんのわずかの間だけしかありません。支那大陸にあったのは、他民族の国家です。元帝国はモンゴル人の国家です。最後の王朝である清朝も他民族の国家です。ヌルハチが造った女真族の国家です。漢人は出てきません。1回くらいは国を造りましたが、後は異民族が造った国家ですから、支那の歴史はないのです。
支那大陸の歴史は、誰の歴史なのでしょう。モンゴル人の歴史、女真族の歴史なのでしょうか? 支那にも歴史はないのです。新しい王朝は前の王朝を否定します。すべて滅ぼして一族皆殺しです。王様の一族から子供まで全て殺してしまい、「今日から俺が王になった。今日から俺が歴史だ」とやるのです。前の歴史書はすべて燃してしまうのです。
今の中華人民共和国もそうです。前の王朝はすべて悪いのです。「すべてを抹殺して我々が国を造るのだ」という考えです。中華人民共和国は、たかだか68年です。まだダメです。これもまた壊されてしまうのです。支那の歴史はないのです。造っては消えて、造っては消えるのです。世界の国はみなそうなのです。
歴史があるのは日本だけです。2800年も一つの王朝がずっと続いてきて、誰も王朝に手を出さなかったのです。「天皇になろう」と思った奴もいません。
これは教育勅語に書いてありますが、「天皇は国民のために存在する」と書いてあるのです。「民は王のために存在する」のではありません。天皇は国民のために存在するのです。国民のご奉仕はいくら時間があっても足りません。天皇はお一人で、国民1憶3千万人を祈っておられるのです。
日本は世界に類をみない歴史がつくられてきた国です。世界の歴史からみても尊い国なのです。このような国家はどこにもありません。それを教育勅語は露骨に表しているのです。当時の人々には、国家などという概念がありません。
徳川幕府の将軍様はわかりますが、「国家とは何か?」ということを武士は知っていましたが、一般庶民は知りません。それに対して、「日本国とはこのような国だ」という国體(こくたい)を明らかにしたものが教育勅語でもあります。
何だかわからない人々に対して、「日本の国とはこのようなものだよ」と書いてあるのです。世界で一番古い国は日本です。天皇の存在は、国民に奉仕するためにあるのです。その古い国家を仇なす国が現実にあります。韓国、北朝鮮、中国です。北朝鮮は原爆まで使おうとしているのです。
中国は沖縄を盗り、尖閣列島を盗り、日本本土を占領しようと虎視眈々と狙っています。そのようなものが出てきたときには、「ためらわずに国民は一丸となって戦わなければいけない」と言っているのです。何が悪いのでしょう。「ここが問題だ!」と言いますが、一番よいところです。
子供から、ジジイ、ババアまで竹やりをもって戦うという精神です。これが国を守るという気概につながるのです。それを持ちなさいと言っているのですから、何が悪いのでしょう。通常では夫婦は仲良くして、お互いに励まし合い、勉学をして、努力をしていくのが当たり前です。
「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ。」「今、日本は危険な目に遭っています。国民が一致団結していかなければいけません」と言って、何が悪いのでしょう。
国が狙われているのに、個人のことばかり考えていたら国がとられてしまいます。当たり前のことを言っているのです。
この2つを嫌って「これさえなければ教育勅語は何でもない」と民進党や共産党の左翼の馬鹿どもは言うのです。これがあるから教育勅語なのです。勘違いをしているようです。「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ。」とは、当たり前のことです。
「こうして2800年守ってきた国は、全員で守ろうではないか」と言われているのです。当たり前のことです。この自覚があってこそ、日本人です。「支那に占領してもらったほうがよい」とか、「北朝鮮の配下にはいろう」など何を馬鹿なことを言っているのでしょう。これらの人間は売国奴です。
これが教育勅語です。知らなければいけない一番大事なところです。これをこのように教えていかなければいけません。

お読みいただきありがとうございます。

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