蓮舫氏、教育勅語否定しない答弁に「驚愕」- 朝日新聞

桜の季節がやってきましので、明治時代の桜の写真を一葉。

教育勅語に関する論争が花盛りですね。一見、軍国主義と民主主義との闘いや、はたまた天皇中心の国家体制と民主主義による国家体制のどちらが正しいかという論争であるかのように一部の新聞やマスコミは取り上げますが、多くの民主主義国では、それを問題にしないどころか、逆に教育勅語を教育に取り込もうとしています。日本で最初に教育勅語を日本人から取り上げたアメリカなどでは、教育勅語を教育に取り込み、聖書に続く必読書となっています。

 
では、教育勅語を否定したい人たちは誰なのか?実際にずっと教育勅語を否定しようとしてきた人たちを調べていくと、その正体は、共産主義者に結びつきます。
彼らは、それが嫌ならいやと理想はこうだとはっきり言えば好感が持てるのに、自分の正体を隠して、民主主義を隠れ蓑に他人を否定しようするから質が悪いし、卑しいと私などは感じます。教育勅語を否定する人たちが、戦後何を標榜し、どれだけ教育を破壊し、それとわからないように共産主義者や共産国と一体となって如何に国家に害をなしてきたかを調べれば、それは一目瞭然です。共産主義者たちは、あたかも民主主義であるかのような顔をして相手に取り込み、その先の彼らの理想世界へと段階的に洗脳をしていくから始末に負えない。昔のようにはっきり共産主義最高と言えばまだ考え方の違う人たちということで受け入れられるのに、そうじゃないところに問題がある。
はっきり言えば、彼らの目指すところは、共産党による独裁体制であり、それ以外はすべて国家を転覆しなければいけなくなるわけなので、彼らの理想世界である万人平等世界とそれ以外の世界はどうしても相容れないということになります。
 
つまり、この論争の行き着くところは、天皇を中心とした国家体制と共産主義という平等世界を主張する国家体制のどちらがよいかが、最終的な論点になるわけです。くどいようですが、彼らがどんなにうまく共産主義を隠そうとしても、例えば民進党や朝日新聞、その背後にいる共産主義を隠した学者さんたちが築いてきた裏歴史そのものを消すことはできません。彼らはまず日本の近代史や天皇陛下による国家観と軍国主義を結びつけて自己否定させるところから入ります。しかし、一般の人たちにはその正体がわからないので、軍国主義最低、戦争は嫌だ、人類みな平等と思って共鳴しているうちに、気が付くと共産主義者になっていたということになる。その手口は巧妙であり、韓国系の新興宗教団体を凌駕します。特に戦中の苦い記憶を持つ日本人年長者にとって、戦後の華やかな文明の空気と一体となって始まった日本の過去を否定するWGIP一色で育ってきたために、そこから逃れることは困難で、時に苦痛を伴うことなのかもしれません。
 
共産主義を謳う人たちは、基本的に万人は平等であり、共産党による独裁こそが人民の幸福につながるという主張の持ち主であり、王政や天皇陛下どころか民主体制そのものを否定するわけなので、天皇を中心の国家観によって数千年間不思議な一体感を感じながら生活してきた日本人とはどうしても相容れません。彼ら共産主義の独裁体制に対して不快感や不信感こそあれ、安心感など感じないからです。この論争は率直に言えば、自分で見て感じて判断する以外にないのかもしれません。一般的な日本人の立ち居振る舞いと共産主義国である一般的な中国人の立ち居振る舞い、それから近代史において、中国共産党が如何に暗黒の歴史を築き、その汚名を日本に責任転嫁してきたかを知る以外にないのではないかと思います。

 

■蓮舫・民進党代表

 (安倍内閣が教材に教育勅語を使用することを否定しない答弁書を閣議決定したことについて)正直驚愕(きょうがく)した。教育勅語は国会でも、戦後すぐに、その排除・失効が議決をされている。政府としては当然尊重するという前提があってしかるべきだ。森友学園の経営する塚本幼稚園で「総理大臣、万歳」とともに、教育勅語を毎朝読ませていたということに対して、違和感があるという国民の声が上がった。間違った使われ方、戦前に戻るような、いつか来た道に戻るかのような、使われ方をしてはいけないということを、政府は言う立場にある。それをやらなかったことに驚愕している。(さいたま市で記者団に)

朝日新聞

 

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