河野洋平に「談話」取り消しを訴えた元憲兵曹長の手紙

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1994年、「河野談話」取り消しを訴え、
元陸軍曹長の故・吉冨正光さんは
当時の外務大臣、河野洋平氏に手紙を出した。
それは、いわゆる「河野談話」の内容が、
吉冨さんの知る慰安婦の実情と大きく違っていたからだ。
ここに、その手紙の全文を掲載する。

こちらもお読みください

【重要証言】葬られた手紙―元憲兵曹長が河野洋平氏に訴えた慰安婦の実情―
朝鮮総督府 元内務課長が証言「従軍慰安婦はなかった」
私が見た慰安婦「私の戦友は慰安婦と婚約しました」
私が見た慰安所「強制連行などなかった」

吉富2

吉冨正光さん 1918年福岡県生まれ
元 北支那特別警備隊第四大隊 憲兵曹長

履歴書

手紙に添付された吉冨さんの履歴書

朝鮮人従軍慰安婦問題に対する私見(全文)

手紙1

(1枚目)

私は、昭和一六年八月一日附で、
当時の北支河北省邯鄲憲兵分隊として、
憲兵兵長として拝命して昭和十八年末まで勤務して、
その後、北支を転戦し、
昭和二十一年五月十五日復員した経歴の者です。

首題の件がマスコミに採り上げられた頃から
注意深く見つめておりましたが、
私が当時本件に関係していた実情と
問題の表面化と活動展開の様相は
余りにも離れすぎている事に対して、
日本国民として一市井人として頗る
自憤に耐えないので、一筆啓上いたします。

一、朝鮮人慰安婦は強制連行ではない。
私が、憲兵兵長として勤務していた、
邯鄲憲兵分隊(隊長は柿沼嘉一郎憲兵少尉)には
領事館警察が駐在していなかったので、
憲兵兵長の私が、
四、五回本件の受付け業務を担当したのであります。
手紙2

(2枚目)

(イ)
当時、(S16.8)邯鄲には、
小松原旅団司令部と部隊が駐屯しておりました。
朝鮮慰安婦が四ヶ所営業していたと記憶しております。

そこで、A楼もB楼も
或は旅団管下の部隊の配置箇所の慰安所でも
新規婦女を雇入れる場合は
紹介者(仲買人と称するか?)が
朝鮮人婦女子数名を帯同して
憲兵隊に営業届に参上します。

私達は、渡航証明書(は本領よりの入国許可証明書)
及び本人の身上書の鑑定並びに雇入れ
慰安所楼主の確証などを検分して
相違なければ、分隊長の検印をもらつた後で
許可証を交付する。
・・・という事務処理をしたものです。
手紙3修正

(3枚目)

要するに、必らず仲買人の朝鮮人が介在したものであります。
従って、帝国の軍人が朝鮮婦女子を不意に逮捕して慰安婦として稼働させるとは笑止千万の限りで、世界中の未開発を称される国でも斯様なことは在り得ないと存じます。

現代の日本人の文化人と称する人とは『どうして日本国と日本人』を悪者に仕立てるのでしょうか。(心情不明)

また、日韓は講和条約を締結し
国家間の外交相互国でありながら、
一個人が相手の国家に対して補償を求める
という行為はルール違反であり、
日本政府が慰安婦と称する個人を相手に
事情聴取を執るというならば
あまりにも情けない限りである。
韓国大統領が
『日本国に対して、朝鮮慰安婦の金銭補償は求めない』
と言明したことは理の当然であります。

二、本件の公正な解決策について
朝鮮人慰安婦で補填を要求する者に就いては、
次の事項を解明すれば必らず
公正が期せられるでしょう。

左記
手紙4

(4枚目)

(イ)
本人が慰安婦となつた時の(仲介者)は
時、場所、転々と移動したであろう地名と年月日を提起させる。
若し強制的連行であれば、当該部隊名を明かす

(ロ)
我方としては
※その年月には、駐屯していた部隊名
防衛庁の戦誌室には、部隊の配置表は保存されていませんか?
若し、不明の場合は新聞などで当該部隊の者に名乗り出てもらう
※当該地区における憲兵隊員の参考人を捜すこと
右二項の外、慰安婦が慰安所となつた当時の郷土や
親族知己などの証明者を明示すること。

三、本件の安易な弱腰外交では、中国、南方地方に拡大して
国辱的損失を受けることを憂慮いたします。

手紙5

(5枚目)

(S11)の
二、二六事件の発生の遠因は、
当時東北地方の凶作で困窮農家の人々が、借財整理のためにと
万止むなく子女を身売りしたことです。
その時は必らず「仲介人」が楼主との取引によって
決定していた事実を認めざるを得ません。
私が業務として取扱つた『朝鮮人慰安婦』も全くその通りでした。

町村の婦女子を無理矢理に逮捕して慰安婦に仕上げるという
報道のパターンは笑止の至りです。

なんとしてでも、
日本からタカり取るという手法としか考えられません。

その手法であれば、我が国も、
広島、長崎の原爆で死亡した●●人や
現在も原爆病で苦しむ人々
又は、シベリヤの極寒の地で
牛馬の如く使役されて死亡した人々の家族、
個人として、米国やロシヤに補償を求めていません。

日本人は悪いから、
馬鹿だから補償交渉を起こさないのでしょうか?
否、立派な常識を持つ日本民族だからの態度でありましょう。
手紙6

(6枚目)

四、結び
私は(S16.8)に勤労した邯鄲憲兵分隊の管内で営業していた、
朝鮮人、中国人の慰安所や日本人のカフエー、芸者屋(日本、朝鮮)とも
概ね記憶しています。
若し、邯鄲憲兵分隊で営業した慰安婦が申出ている場合は、
敢て証人として出会う事を誓います。

本件は、それぞれの地区で、それぞれの事情の相違もあるかも知れません。
だが、●●●と日本軍の駐在とを対比すれば
必らず眞相が判明する筈です。
徒に彼方の申立てのみを受けとめて
決済することは国益を損じます。

日本国の天皇陛下は、
昭和天皇、今上天皇と二度までも
韓国に『お詫び』をなされました。

手紙7

(7枚目)

日韓合併は、戦争で占領したのではありません。
政治力の強弱は別として、
日韓が外交上の手続きによって決めた事項と存じますが、
日本は絶対に悪い、韓国は絶対正しい、
という手法では本当の日韓の親交は産れません。
世界史を見ても、様々な戦争の歴史が生じています。
何時までも何時までも相手国を許さないという手法では
眞の世界平和は成立しません。
両国は、最も親密を求める事が両国の国益に添う立場である
ということを認識する事が肝要と存じます。

従つて、安易に相手の言うままに服従する事が
平和を築く条件ではありません。
双方が主張し合ってこそ本当の親交が生ずるものと確信致します。
御参考なれば幸甚です。
拙文駄文で失礼いたしました。

●●●
河野洋平 様  (ア)
元憲兵曹長の吉冨正光

憲兵の機関紙を参考のために添付いたしました。

以上

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