トランプは最悪の大統領ではない!

『世界のニュース トトメス5世』
2016年11月05日

【トランプは「最悪の大統領」ではない ジョンソンとケネディとニクソン】

ベトナム戦争前史

米大統領選はトランプとヒラリーが激戦を繰り広げていて、特にトランプ候補は史上最悪の大統領候補といわれている。

だが仮にトランプが勝ってもヒラリーが勝っても、下には想像を絶する最悪大統領が何人も居たので、世界大戦でも起こさないと「史上最悪」にはなれない。

まずはベトナム戦争を引き起こしたケネディ、ジョンソン大統領と、泥沼化させたニクソン大統領から見ていこう。

ベトナム戦争は元々ベトナムを植民地にしていたフランスと、独立したいベトナム人の戦争で、フランスが負けて決着したはずだった。

第二次大戦でアメリカを含む連合軍の大半は「戦争に勝ったら独立させてやるから日本軍と戦ってくれ」とフィリピン人やベトナム人などを騙して戦争に狩り出した。

だがこうした約束のほとんどは戦争に勝ったら反故にされ、依然と同じようにフィリピンやベトナムを植民地支配した。

1945年8月、日本が降伏すると同時にベトミン(独立同盟)が蜂起してベトナム民主共和国の独立を宣言した

当時日本軍がベトナムを占領していたので、日本の降伏を受け入れて武装解除するために連合軍がベトナムに上陸してきた。

占領軍として乗り込んできたフランス軍はそのまま植民地支配を続けようとし、1946年にベトミンとフランス軍の全面戦争が勃発した。

このときの最初の「ベトナム軍」に実は日本軍から離脱した日本兵が多数含まれていて戦争指導を行い、陸軍学校も創設してベトナム軍の指導をしていた。

中国とソ連の共産陣営がベトミンを支援し、アメリカはフランスを支援して代理戦争になり、最初から物量では米国の支援を受けたフランスが圧倒していた。

だが日本軍の指導と中国ソ連の支援を受けたベトミンは「ディエンビエンフーの戦い」で圧勝して1954年にフラン軍を倒し、ベトナム民主共和国が正式に世界に認められた。

史上最悪の大統領登場

ベトナムはアメリカが支援する南ベトナムと、ベトミンが支配する北ベトナムに分割し、アイゼンハワー大統領は北ベトナム侵略とアメリカの直接戦争を決断した。

1953年7月に朝鮮戦争が終わり、超大国アメリカに引き分けたソ連と中国は、世界を共産化すると言われていました。

アイゼンハワーはアジア諸国が次々に共産化する「ドミノ」理論を部下から吹き込まれて戦争を決断したといわれている。

南ベトナムは実質的にアメリカの植民地で、アメリカからの指示によって大勢の人が「赤狩り」で粛清されたと言われている。

アメリカが援助するほど、南ベトナムが赤狩りを強化するほど人々の心は離れていき、国民の多くが北ベトナムを支持するようになった。images-271960年に南ベトナム解放民族戦線が結成され、実質的に南ベトナムとアメリカに対して全面戦争を宣言、1961年にケネディ大統領が就任し、南ベトナムで「ゲリラ」への攻撃を開始した。

ケネディのベトナム戦争は悪名高い「枯葉剤」を大量に使用して「ベトちゃんドクちゃん」を生み出し、今では使用禁止されている兵器を農村住民に使用した。

またケネディはベトナム農民を強制移住させたり、農村への無差別攻撃を正当化したり、泥沼への道筋をつけた。

アイゼンハワーの時に685人だった米兵はケネディの時には1万6000人になり、大量の兵器と爆弾がベトナムに輸送された。

ケネディは自分の命令どおりに動かない南ベトナムとも対立し、クーデターを煽動して軍事政権を樹立させ、後に戦争が拡大する要因の大半を準備した。

ケネディが南ベトナム軍にやらせた11月2日のクーデターでゴ・ディン・ジェム大統領はなくなったが、皮肉なことに20日後の11月22日にケネディはダラスでなくなった。

他国を貶めて謀略を煽動する人の最後はこのようなものだろうが、代わって臨時大統領になったジョンソン大統領こそアメリカ史上一二を争う最悪大統領だった。

ジョンソン大統領

images-26ジョンソン大統領は大統領としての基盤を固めた1964年8月に本性を現して、トンキン湾事件を引き起こした。

日本軍による真珠湾攻撃はルーズベルトに「そそのかされた」という説があるが、トンキン湾事件は正真正銘のでっち上げだった。

北ベトナム海軍の魚雷艇によるアメリカ海軍の駆逐艦「マドックス」への魚雷攻撃があったと発表されたが、後にそんな事件はなかったと判明している。

ジョンソン大統領は北ベトナムから攻撃を受けたと主張して議会で圧倒的多数で戦争開始を承認され、以降戦時の大統領として議会の承認なしに決定を行う権利を得た。

このでっち上げによってジョンソン大統領は国民の支持を受け、1964年11月の大統領選に圧勝し、アメリカの英雄として悪の国家ベトナムを倒すべく傾倒していく。

1964年11月にアメリカは北ベトナムへの爆撃を開始し、ソ連と中国は北ベトナムへの支援を強めていった。

ジョンソンは北ベトナムを「4流国家」というのが好きで、ベトナム人の全ての村を破壊し尽くすよう何度も命じていた。

ジョンソン大統領は「ベトナム人を人間として扱うな」と命じ、兵士は無関係な農民を遊び半分で狙い、家に火をつけたりソンミ村事件を起こした。

枯葉剤や焼夷弾やあらゆる化学兵器や非人道兵器を投入し、普通の農民や子供や女性を標的にさせた。

またジョンソン大統領は何度も核兵器の使用を検討し、何度か北ベトナムに脅しを掛けていた。

沖縄から経由したB52爆撃機が北ベトナムを爆撃していたが、標的は軍事施設ではなく市街地や農村だった。

当然ながらこのような戦争が支持を得る事はなく、攻撃をするほど南ベトナムの人心はアメリカから離れていった。

空爆好きのニクソン

images-24ジョンソンによる「戦争犯罪」は彼が任期を満了する1969年まで続き、ニクソン大統領が戦争を引き継いだ。

ニクソンは54万人に達していたベトナム派兵軍を削減したが、一方で空爆を強化して「陸から空に」戦争の方法を変えた。

最近の米軍は空爆だけする一方的な戦争が大好きだが、米軍に犠牲を出さないこのやり方を始めたのがニクソンだった。

ニクソンは大統領選から「段階的撤退」や「名誉ある撤退」を訴えていたが、結局そんなものはなく不名誉な『戦争犯罪』を続けた。

ジョンソン大統領はベトナムだけでなく周辺国にも「ベトコンが居る」と難癖をつけて爆撃したり暴動を煽ったりしていて、インドシナ半島は大混乱に陥っていた。

カンボジアとラオスも戦場になり、タイは米軍のための軍事基地になり、北ベトナムへの空爆を強化していった。

ニクソンは確かに戦争を終わらせようと北ベトナムとの交渉を行っていたが、同時に交渉を有利にするため北への爆撃を拡大した。

1972年5月からニクソンは「北ベトナムの全ての人間」に無差別攻撃を行うよう命令し、B52による大量爆撃が開始された。

都市や住宅地、農村や工場、など人間が居そうなあらゆる場所を爆撃し、動くもの全てを攻撃対象にした。

鍵を握ったのは中国で、当時アメリカはソ連と冷戦を行っていて、中国とソ連を引き離したがっていた。

ニクソンは北京を電撃訪問して国交回復し、ソ連と離反させるとともに、ベトナムへの支援を打ち切るよう要求した。

ベトナムは中国から見捨てられるとソ連に頼り、1973年1月に米軍がベトナムから完全撤退するというパリ和平協定を結んだ。

アメリカ軍がベトナムから撤退したのは1975年4月30日で、この日まで米空母やタイの米軍基地からベトナムへの攻撃は続けられ、米軍脱出を支援した。

ニクソンがベトナム撤退を約束して当選してから約5年半が経っていて、最後の米軍は名誉も誇りもなく逃げ出した。

ところがベトナム戦争が終わってしばらく経つと「ベトナム戦争は共産主義と戦った名誉ある戦争だった」というジョンソン大統領の名誉回復が行われた。

1990年代に入るとアメリカは外国と戦争をしたがっており、第二次大戦やベトナム戦争を美化する映画やドラマが国策で次々に作成されていった。

ヒラリーやトランプが「史上最悪の大統領」になるにはジョンソンより悪いことをしなくてはならないが、やろうとしても難しいだろう。

Be the first to comment

Leave a Reply

Your email address will not be published.