KAMIKAZE (Suicide attack) is an ultimate love like a mother protect her baby. 特攻は究極の愛。 我が子のために身を犠牲にする母親のようなものです。

 特攻05アメリカは、昭和19年末より日本本土を次々と爆撃し、数十万人の民間人を殺傷した。
これと前後して、神風特攻隊が組織され、多くの若者たちが散っていった。
特攻は究極の愛。 我が子のために身を犠牲にする母親のようなものです。
あなたは、あなたの命を守るために命がけで戦ってくれたお父さんをなぜ否定するのですか?
老若男女の区別なく、子供や病人ですら容赦なく殺そうとしてくる相手に対して、手を
挙げて、黙って家族が殺されるのを見ているのが正解だったと言うのでしょうか。

最初から手を挙げていれば、数万人か数十万人か、あるいは数百万人が犠牲になるだけで
済んだのに、という考えは、現代人の平和な世界で生きている人の感覚です。
吹き荒れる共産主義の脅威の前に、抵抗力である武器・弾薬・燃料等を放棄してしまうという
ことは、国の防衛を放棄するということであり、当時の世界情勢ではありえないことでした。

 

『正しい日本の歴史』 一色誠

特攻、そして硫黄島 ~その1~
On 2013年5月11日

『特攻』とは、なんであったのか?

日本軍の資料によると、特攻の突入成功率は10%。

ペンタゴン(アメリカ国防総省)の資料によると3%。

100機突入して、わずか3機しか当たらなかったのです。

戦闘効率からいうと、あまりにも無駄な戦法だったと言えます。

それだけではありません。

戦法というものは、古来より、「生き残る道が万に一つでもある状況下で行うことを前提に立てるもので、確実に死ぬことを条件に立ててはいけない」ものなのです。

「 軍により洗脳された人たち 」

「 優秀な若者を無駄死にさせた愚行 」

特攻03私の考えでも、ここまででした。

◆特攻そして硫黄島、その驚愕の真実!

実は、私たちが 「狂気」 そして 「無駄死に」 以外の何物でもでもないとしか考えていなかった特攻、そして硫黄島での日本軍の戦いは、まさに日本を救ってくれたのです。

しかし、私たち日本人は、誰も、そのことを知りません。

現代の私たちの生活が、白人の植民地にならず、豊かで平和に暮らしていけるのは、実は、特攻で死んでいった若者たちのおかげなのです。

そしてもう1つ、硫黄島で鬼神となり、物資欠乏にも負けずアメリカ軍に日本軍以上の死傷者を与え、アメリカ軍をして、「 二度と日本とは戦争をしたくない!」 と心胆寒からしめた、栗林陸軍中将が率いた『祖国を命と引き換えに守ろうとした方々』の、おかげだったのです。

日米開戦当初、アメリカの太平洋における基本戦略は、「 アメリカに楯突く『 黄色いサルの国でしかない 』日本を撃滅し植民地となし、日本を足掛かりに中国に進出、最後のユートピアの権益を収奪する 」 でした。

アメリカは、開戦当初こそ、優秀な日本軍に負け続け撤退に次ぐ撤退だったのですが、豊富な工業力と、数千年にも渡る(強奪を目的とした)国家間の戦争に明 け暮れてきた白人国家の経験に裏打ちされた必死の反抗精神を発揮し、勝ち戦に慢心した平和国家の軍隊である日本海軍の油断、そして官僚組織が硬直化し無責 任が支配していて愚かな作戦しか立案できない軍部高級官僚(公務員)の悪しき性質にも助けられ、ミッドウェイ海戦で圧勝すると、物量に物を言わせた反撃を 開始、

ほぼ、大勢が決まりつつあった昭和19年10月、アメリカ軍はフィリピン沖で思わぬ事態に驚愕させられました。

日本軍機による『 特攻 』です。

海軍が “神風特別攻撃隊” として昭和19年10月25日に実行し、陸軍は特別攻撃隊 “富嶽隊” によって11月7日から実行されました。 最初の出撃で、「1機1隻撃沈 」という成果は日米双方に衝撃を与え、硫黄島やウルシー・サイパンへの作戦を経て、沖縄戦において最高潮に達しました。 沖縄周辺に侵攻したアメリカ海軍やイギリス海軍、オーストラリア海軍を中心とした連合国軍の艦隊に対し、日本軍は菊水作戦を発動して特攻隊を編成し、九 州・台湾から航空特攻を行い、連動して戦艦大和以下の艦艇による “水上特攻” や 回天、震洋などの体当たり艇による特攻など、各種特攻兵器が大量に投入されたのです。

死を覚悟した、まさしく死に物狂いの人間を相手にした時ほど人間恐ろしいものはありません。

爆弾を抱いたまま突っ込んでくる特攻兵器は、米軍兵士らをパニックに陥れました。

以降、日本の敗戦までの10か月間、アメリカ軍は、『 特攻攻撃 』 という悪夢としか思えない、ありえない恐怖のどん底へ叩き落されたのです。

特攻02「 追い詰められた日本人は死を恐れない 」・・・アメリカ人にとって恐怖以外の何物でもなかったのです。

ペンタゴンに収蔵されているアメリカ軍から見た戦記を丹念に読み込んでいくと、特攻の 『 真実の姿 』 が浮かび上がってきます。

特攻を受けると、沈まなかった艦でも、特攻機の航空燃料が火炎と共に辺り一面に飛び散り、焼けただれた兵士たちの叫び声が艦上に響き渡り、まさに地獄絵図そのものでした。

次から次と、鬼神たちが突っ込んでくるのです。

次は自分の番・・・

「 特攻が来た!」 と聞いただけで、多くのアメリカ軍水兵は、あまりの恐怖から艦を捨て海に飛び込んで逃げ出しました。

駆逐艦の艦長も3名、特攻機の恐怖に耐えきれず、精神に異常をきたし後方へ送り返された記録がアメリカ国防総省(ペンタゴン)には残っています。

ここまでの恐ろしすぎる攻撃を、アメリカ軍は、かつて受けたことはなかったのです。

地獄の恐怖を味わった連合軍占領軍(GHQ)は、日本人が二度と軍事的な自信を取り戻さないようにと、特攻隊の成果の真実を隠蔽(いんぺい)し 「効果のない犬死にだった」 と、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムを使って、戦後の日本人を洗脳したのです。

実際は、昭和19年10月から昭和20年8月の終戦までの、わずか10ヶ月の間の戦果で、358隻のアメリカ艦艇が被害を受け、その中で撃沈したものは48隻、撃破は310隻に上るというのが真相なのです。

日露戦争の日本海海戦では2日間で撃沈21隻、撃破及び拿捕7隻、計28隻、遁走した小艦艇10隻、ここに38隻を擁した世界最強のロシア大艦隊は全滅。 奇跡の勝利とされて全世界を驚かせました。

この数字からも分かるように、神風特別攻撃隊の戦果たるや、実際は桁違いに恐るべきものだったのです。

連合軍総司令部が、いかに日本の軍事的再起と報復を恐れたか皆さんにも想像がつくのではないでしょうか。

戦後、日本に進駐してきたマッカーサー元帥は、(人間魚雷)回転を積んだイ号潜水艦の何隻かがまだ帰投していないことを知り、震え上がった。

それほど、アメリカ軍に与えた恐怖は深かったのです。

特攻01日本が負け占領軍が日本に上陸した後も、この恐怖の記憶は、アメリカ兵の心から拭い去ることはできなかった・・・

「 二度と、日本とだけは戦争をしたくない!」

特攻を経験したアメリカ兵の率直な願いとなったのです。

昭和20年5月、海軍中尉西田高光( 元・国民学校教師、21歳 )は、特攻出撃直前に記者の山岡荘八に言った。

「・・・お分かりでしょう。 我々の命は、講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。 ・・・ そう民族の誇りに。」

「学鷲は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし負けたとしても、そのあとはどうなるのです ・・・ お分かりでしょう。 我々の命は、講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。 ・・・ そう民族の誇りに。」

戦後、米国の航空隊指令が横須賀に駐屯する米軍搭乗員たちに神風特別攻撃隊をどう考えるか聞いたところ10人中7人までが「敬意を払う」と答えたという。

国が滅びようとする瀬戸際に一身を投げ出して最後まで戦う日本人の勇気に、米国人は畏怖(いふ)の念を抱いた。このことは戦後日本に対し必要以上の過酷な占領政策を避けたことと無縁ではない。日本人への畏れが日本を守る「抑止力」の役目を担ったのです。

特攻で散華された英霊の方々は、「 軍国主義に洗脳 」など されていなかった。

冷静に戦況を分析し、命に代えてでも守るべきものがあったから、飛び立っていった。

「 洗脳教育 」を受けているのは、私たち戦後世代なのである。

「 戦前は軍国主義で暗かった 」

「 憲法9条が僕たちを守ってくれる 」

「 日本軍だけが、悪いことをしたんだ 」

こんなウソを、信じてきた。

どこの、誰が、僕たちに教えた?

どこの、誰が、ご先祖様を貶めた?

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