日本人が忘れてはいけない歴史(二日市保養所)

1946年6月10日救療部報告書より

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「満州や朝鮮からの 初期の脱出者は悲惨で、今も念頭を去らないいくつかのエピソードがある。

朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、
辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。
そこで見たものは、日本人の娘達が次々にまずソ連兵に犯され、
ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されて さらに散々に辱められたうえ、
虐殺されている光景であった。

「吉州や端川の海岸線にでた人たちに対する
ソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、残酷をきわめた。

夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17才になる娘を父親からひったくるように連行。
娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて 幽鬼のごとく帰ってきたという。

みなソ連兵を朝鮮人が案内したのだった。

部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、金や着物や米などが取り上げられた。
靴の底や、女の髪のなかから金を探し出すのはふつう。
一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。

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城津での惨状は言語に絶した。
朝鮮人の男女が 数十人の団体でおしかけ、干してある洗濯物から 赤児の着物まで
剥ぎ取って掠奪され、あげくは婦人の“提供”を要求されたという」

博多港から車で40分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、「二日市保養所」である。
レイプによって妊娠させられた女性たちには、堕胎手術が施された。
また、性病に感染した女性たちにについても、匿って回復するまで治療が行われた。

昭和21年の春、堕胎のための専門病院設立のきっかけになる出来事があった。
医療救護に従事していた医師・田中正四は、港で引揚船から降りてきた教え子と再会した。

京城女子師範を卒業して 朝鮮北部の田舎の学校に赴任していた彼女は、
進駐してきたソ連兵に暴行されたのだ。しかも一度では済まず、相手も変わった。
兵隊同士が情報交換をしていて、部隊の移動のたびに新しい兵隊に襲われたのである。

救療部の関係者は 悩んだあげく 堕胎手術に踏み切った。

医療設備や技術の不備、そして何よりも、当時は堕胎を禁ずる法律があったからである。
しかし手術は失敗し、娘は命を落としたのである。

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「二日市保養所」の産婦人科部長だった橋爪医師の証言が、「水子の譜」に収録されている。
同医師が昭和21年6月10日付で救療部に提出した報告書によれば、
レイプの加害者は朝鮮人が最も多く
次いでソ連人、中国人、アメリカ人だという。

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